下辺さんの場合 ⑥ 結末
下辺さんの場合 ⑥ 結末
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身体中の疲れと匂いが、今日起きたことが本当のことだったということを教えてくれる。
"生徒会室"を出たあと、どうやって家に帰ったのか、覚えてない。
気づいたら、少し寝ていた。カーテンの隙間から月の光がさしていて、満月がこんなにキレイだったことを、あたしは忘れていたようだった。
あのとき、生徒会室であったこと。
芹岐 練(セリギネル)サン……いや、ネルちゃんは、あたしの目の前に説教したセンコー……網斗理子(モウトリコ)先生を差し出したと思うと。
一緒にお仕置きをしようと言い出した。
あのセンコーは、ネルちゃんがあたしにばっか構うから嫉妬したからと。
だから一緒に、ネルちゃんとあたしが"立場"を教えてあげようって……。
そして、ネルちゃんはきっと、ヒトじゃなかった。
真っ黒な腕、角、そしてあまりにたくさんの腕が生えていた。
でもあの場所は、あたしがいるべき場所だとわかった。
ネルちゃんは支配者で、だけど、ネルちゃんは、あたしを暖かく抱きしめてくれた。
ああ、あまりにおかしな、現実離れしていたのに、どこか安心しているあたしがいた。
あたしは、自由になりたくて、それだけを考えていて生きていた。
でもそれって、本当は、居場所がなかったから、居場所がほしかったのかもしれない。
すごく胸がスッキリしていた。
幼稚園のころ、勉強も何も、心配なんて何にもなかったころを思い出した。
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下辺の携帯が震えた。
📩
from:ネルちゃん subject:ちゃんと眠れた❓
あの異常な体験のあとに届くメールとしては、あまりに普通だった。
下辺は、それに対してゆっくりと返信した。
まだねてないよ でも、なんだかスッキリしたかも
すぐに返信が届く。
from:ネルちゃん subject:よかった
text:明日、少しはなそっか またきて
「またきて」
その言葉に、下辺は嬉しくなり、すぐに「うん」とだけ返し、カーテンを閉めて眠りについた。
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翌日、下辺は生徒会室をノックしていた。
彼女は昨日の出来事を思い出し、ドクドクと心臓を鳴らしている。
「下辺さん、こんにちは。」
ドアを開いて出てきたのは、何本も腕がある人外の怪物ではなく。
正真正銘、誰もが知る生徒会長の芹岐煉だった。
室内には整った机と掲示物、隅にはプリントが詰め込まれたダンボールが積まれている。
他の生徒会員があれこれと話し合っている。
彼女たちも、昨日の"生徒会室"にいたのかは定かではなかった。
ただ、部屋を訪ねてきた下辺のことを意にも介していないことだけは確かだった。
下辺はもじもじとしながら口を開く。「ねる……ちゃん。あの、昨日のことなんだけど……。」
芹岐は微笑みながら頷いた。「奥、いこう。」
「ん……」と、芹岐に手をとられ、下辺は素直に従った。
奥には簡単なソファとテーブルがあった。
他の生徒会員が水を紙コップに注いでる間に2人はそこに掛けた。
「怖かったよね。」芹岐は心配そうに尋ねた。
「うん……。ちょっと。」下辺は、自分の身体を抱きかかえるようにして答えた。「でも嫌じゃなかったよ。」とそのまま続けた。
「なら、よかった。」と、芹岐は下辺を撫でる。下辺は、かわいがられる猫のようにそれを享受している。
昨日を迎えるまでの彼女は、消えてしまったかのように大人しかった。
「そういえば、網斗先生って……。」下辺は尋ねる。
"椅子"としてあの部屋に鎮座していた教師。
「あんなの、もういらないし、いないよ。だって、下辺さんがいるもの。」
芹岐がそう言うと、下辺は「そっか。」と嬉しそうな顔で納得した。
「下辺さんは、自由な人だと思うよ。」
「……」
「でもそれは、誰にも縛られない代わりに、誰にも守られていない、ということでもある。」
その通りだった。
下辺は身一つで自由を求めたため、痛い目にあった。
それ以外にも、色んな普通の幸せを手放してきていた。
「私のモノになってくれるなら。」芹岐が目を細めながら、ゆっくりと耳元で囁いた。
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「私のモノになるって、どういうこと……なの……?」
ネルちゃんの言葉に、あたしの心臓はドキンと跳ねた。
視界がぐらっとした。
怖いのか、不安なのか、何もかもがよくわからないドキドキが止まらなかった。
そうしてあたしが瞬きすると、そこには悪魔が立っていた。
部屋はいつの間にか、あの昨日のように真っ暗になっていた。
背丈は、どう考えてもネルちゃんだったけど、昨日のように、たくさんの腕と角が、その身体から生えていた。全身は薄い紫色をしている。セーラー服を着ていたはずのところは、まるで水着を着ているかのような黒い肌が広がっている。それを見て、あ、あれって、水着着ていたんじゃなくて、素肌だったんだ、とよくわからないけど納得した。
いっぱい頭の中を考え事がめぐっている中、悪魔は嬉しそうにあたしのきいたことに答える。
「そんなの、一生大事にするってことだよ。あなたを、愛して、愛して、愛して、守ってあげる♡その代わりに、あなたは私の手足になる。そういうことかな。」
ゆってることは、なんだかよくわからなかった。
「えっと……そうゆうことってどうゆうこと……?」申し訳ないけど聞き返した。あたしもなんだか上の空になっていたから。
「下辺さん……。これは、強制とかじゃない。あなたの気持ちを聞きたいの。」
悪魔があたしに優しく問いかける。
「あなたは、自由でいたい?それとも、私に優しく守られたい?」
それなら、よくわかった。あたしは、自由になるよりも、ネルちゃんと愛し合いたいと思った。
それが一番の幸せと、知ってしまったから。
「……ネルちゃんのそばがいい。」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で、何かが静かに決まった気がした。
「なら、自由はいらないの?」
一瞬、怖くなった。
それでも、目を逸らさなかった。
「……いらない。」
言い切った。後悔はなかった。
ネルちゃんは、嬉しそうに少しだけ目を細めた。
「なら、契約だね。」
そう言うと、ネルちゃんはあたしの腕を指さした。
制服をめくると、2本の角のような黒いのが、腕に入っていた。
「今日からあなたは、私のモノ。私のためにいっぱい尽くして、私はあなたにいっぱい尽くす……。ふふふ、改めてよろしくね。私のナルミ。」
ネルちゃんはあたしの腕をさすりながら話して、その言葉にあたしは燃えるように熱い気持ちを感じた。
「えへへ、ネルちゃん、好き……愛してるの……。」いつのまにか、あたしの心からの気持ちが口から漏れ出ていた。
「まずは一つ目のお願い、いいかな。」
「うん。」
ネルちゃんからの最初のお願い、なんだろう……。
「●●●ちゃんのことを調べてきてほしいの。」
ネルちゃんは1枚の写真を差し出した。
その子のことはよく知らなかったけど、早速お願いされたことに、あたしは嬉しくて誇らしくて、胸がいっぱいだった。
すぐにネルちゃんの喜ぶ顔が見たくて、「わかった、いってくるよ!」と勢いよく返事をする。
「下辺さん。」
そして扉を開けようとしたとき、ネルちゃんがあたしに声をかけてくれた。
「あなたはもう1人じゃないよ。」
扉から出ると、學園の廊下だった。
そして、あたしはゆっくりと深呼吸した。
「ああ、あたし、ネルちゃんのになっちゃった。」
でも、後悔はなかった。ただただ、晴れ晴れとしていた。
あたしは本当の愛を知った。お母さんやお父さんがくれなかった、本当の愛。
ネルちゃんのために自分を捧げれるなら、自由すらいらない。
彼女が喜んでいる顔を想像する。
それだけで心に幸せが満ちるようだった。
あたしは、お願いのことをしっかりと頭に刻んで、一歩一歩踏みしめていった。
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成美が出ていったあと、芹岐はグラスを揺らしていた。
「下辺成美(シモベナルミ)……。本当にウブな子だねえ。」
生徒会という概念に全く似つかわしくない赤い液体は、やんわりとした葡萄の香りを漂わせている。
「一途な愛なんて、傷つくだけな気がするけどなあ。」
ナッツを一粒、二粒と口に含み、グラスを飲み干すと。
「まあ……そういうのも嫌いじゃないけどさ。なにはともあれ、私のためにたくさん働いてもらうからねぇ♡」
そう呟いたと思うと、彼女の姿は闇に消えた。
徐々に光が灯り本来の姿を取り戻した生徒会室は、何事もなかったかのようにその役目を再開した。
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