下辺さんの場合 ⑤
下辺さんの場合 ⑤
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2005/7/04(月)
06:42
from:ねるちゃん subject:5限後生徒会室💖
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今日はクソ集会がある日だった。
偉くてよくわからないセンコーの、眠くなる話をきくだけの日。
こんな日に、こんな集会に出席するつもりなんてサラサラなかった。
ああ、すっごく眠い。
それに、仏教の学校の集会は、変な臭いがする。
あたしはこの臭いが嫌い。
だけども、今日は。今日は―
土曜日、日曜日と、とてもじゃないがな~んにも手がつかなかった。
全部上滑りして、気づけば芹岐サンの言葉が脳裏にこだました。
「おしおき」
おしおきって何なの?
どういうこと?
芹岐サンに問いたださないと気が晴れない。
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今日は5限目に学校集会が予定されていた。
午後の学校集会。教師の話を聞きながら舟をこぐ生徒や上の空になっている生徒が普段よりも発生することは明白で、部屋に充満した二酸化炭素は犠牲者をどんどんと増やしていった。
やがて、集会が終わりに近づき、生徒会長が壇上に上がり、一礼をする。
マイクのノイズがぐぉんと少し鳴り……そのまま芹岐が口を開いた。
「こんにちは、生徒会長の芹岐煉です。」
芹岐の声が体育館に響くと、空気が少し変わった。
「こほん……まず、仏教では、人は“煩悩”を持つ存在だとされていますよね。怒り、妬み、欲しさ、寂しさ。それらを完全になくすことは、簡単にできることではありません。」
話し声が完全に止まる。ちらほらと、生徒たちが顔を生き返る。場が芹岐のものになる。
「だからといって、それを恥じ、自罰的になる必要もないと、私は思います。間違えること。立ち止まること。人より少し、はみ出してしまうこと。それは“悪”ではありません。ただ、それはその場所で、その人が、悩んで、迷っているだけです。大切なことは、それを孤独に抱え込まないこと。」
スピーチが進むにつれ、前傾姿勢で、熱心に聞き入る生徒も出てきた。
「昨今では、学校生活に苦慮し、自ら誤った道に進んでしまう人がいることも、テレビでもたくさん話題になっています。テストで点数が悪かった、友達と仲良くできていない、家族に問題がある……ですが皆さんは一人ではありません。困ったときは、先生やスクールカウンセラーの人に相談してみるのも良いと思います。ええ、もちろん、私でも構いませんよ。精一杯協力しますから。」
教師も、肯定するように首を振る。
ただの集会のはずだが、熱気のようなものが漂っている。
「悩んだとき、迷ったときは、どうか一人にならず相談してください。皆さんは一人ではないのですから。」
スピーチが終わり、生徒教師交えた万雷の拍手が芹岐に捧げられる。
ただの一人の生徒にはまるで過分なほどのそれは、芹岐の存在感を裏付けていた。
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なんだよアイツ、と思った。
一人にならず?相談してください?あたしのことゆってんの?
あんなにメール無視したのは、誰なの?
周りはなんか感心した感じになってるが、こんなの、ウソじゃん、と思った。
ただ、あたしにだけ、あたしにだけウソをついている。
分かり合えた気がしたけど、やっぱし違うんだ、としか思わなかった。
あとで絶対、ぶん殴ってやるから。
目の前を、芹岐サンが通って、教室に戻っていく。
アイツが跡に残す甘い匂いが、たまらなくむかつく。
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しばらくした後、生徒会室の前には、むすっとした表情で下辺が一人立っていた。
明かに落ち着きがなく、足をとんとんとんとんと落ち着きなく鳴らしている。
それが2分、3分と、さらに怒気は増していく。落ち着きは限界を突破し、足を鳴らすには飽き足らず、左右をぐるぐる回り始めた。
「あいつ、いつになったら来るんだよ。人を呼んでおいて……。」
「ごめんねえ、待ったかな、下辺さん……。」
下辺は驚いた猫のように飛び上がって、後ろを向くと、そこには芹岐が立っていた。
「どっから出てきたんだよ、おまえ!」
下辺が大きく振りかぶって殴りかかった。芹岐は「わわっ」と漏らすと、振りかぶるを見越していたかのように、すっと後ろに下がって片手でそれを止めた。
「びっくりしたぁ。どうしたの?」芹岐の言葉とは裏腹に、拳をそこから離すことができなかった。
「しらばっくれないでくれる!返信さんざ無視して、今日の集会、何あれ?あたしのこと?おしおきって、やっぱりあのセンコーと組んで説教するんだろ!」
下辺が拳を握られたまま凄む。それを受けて、芹岐は拳をパっと離して、下辺はよろけてのけぞった。
「なぁんだ、そんなこと。」下辺の勢いと裏腹に芹岐は表情を変えずに普段調子で答えた。
芹岐をにらむ下辺の額から汗が落ちる。
「中で話そうよ♪ここじゃあ、落ち着かないよね。」芹岐は続ける。そしてただ、「うふふ」と笑うと、生徒会室の扉を開き……下辺の手のひらを優しく握った。
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それは、生徒会室と言うには、あまりに異様だった。
その部屋は夏の夕方にあって、完全な暗がりに閉ざされていた。
夏だけで片付かない異常な熱気と湿気が、身体にまとわりつく。
お香を焚いているのか、部屋一面に、芹岐のそれと似た香りが充満している。
ドアは閉めていないのに、音もなく闇に消え何も見えなかった。
足元は小さな段差が続いている。感触からして、カーペットのようなものがひかれていることだけがわかる。
それでも周りに人はいるのか、芹岐が通るともに、左右から「「会長、おかえりなさいませ。」」と抑揚のない声が上がる。
「え、は……?な……なにこれ……。」先ほどまで怒りに暴れていた下辺が、困惑を漏らす。
下辺は驚きのあまり、導かれるままどんどん先に飲み込まれていく。
「生徒会室だよ。ここは、私の楽園。」
「お待たせ。」闇の中で芹岐が囁く。
「おしおきは、これだよ。」
燭台の光に照らされた芹岐が、何かを指さした。
あまりの出来事にただ怯えるがまま、下辺は指の方向を見る。
その先には……何かあった。
その何かには四つの足があるようだった。
気づくと芹岐を取り囲むように生徒たちが集まっている。
その眼差しには強い羨望と嫉妬が宿っていた。
「セリギネルさまっ……」生徒たちは、熱視線とともに待ちきれず声を漏らす。
芹岐は「はいはい。」と短く呟くと。
芹岐の背中から、ゆっくりと1本、2本、3本と黒い腕のようなものが伸び始め。
それぞれが、取り囲んだ生徒たちをやさしく抱きかかえていく。
そうして椅子(のようなもの)に腰かける芹岐の身体に抱きかかえられた1人と。
その背中から伸びる6本の腕に6人が抱きかかえられている。
いつの間にか芹岐の身体は、人間から離れたものになっていた。
腕だけではなく、頭にはねじり曲がった角が生え、お尻からは尻尾のようなものが伸びている。
服装も、いつのまにか学校のセーラー服ではなく、黒い何かに変わっていた。
下辺はその変化を、ヒトの腕で大切に頭を撫でられながら、夢見心地で眺めていた。
「えへへ、ネルちゃんって、ほんとにすごいんだあ」と、心の底からの笑顔とともに囁いた。
芹岐は微笑むだけで、何も答えなかった。
彼女は、この歓びに満ちた曼荼羅の中心で、全てに愛を振りまき、佇んでいた。
その瞳は、どこか遠くを見ているようだった。