温室記録20260202 - 願い
温室記録20260202 - 願い
>このキャラクターが戦闘終了に伴い敗退した場合、勝利したキャラクターの『ATK』に相当するステータス値に『5』を加算する。
-冥途之みやげではない誰かの手紙-
この願いはみやげの最後の戦闘を形に残しておくためのもの。墓標のように。一度も発動しなかったけど。
もう2026年2月になってしまったけど2025年は私にとって喪の年だった。
私はよく、自身の心象風景を温室に、作品を植物に喩えることがあり、そこには『私の手によって生まれた作品は生き物であり、いつか死ぬものだと思っている』という前提がある。毎日、私の心の中で、色々な作品が芽生えては枯れていく。
今年は特に枯れた作品の規模が大きかった。だから喪の年だった。
枯れるとはどういうことかというと、『自分の作品を無垢な心で肯定できなくなった』という表現が近しい。
自分の作品に思ったような反応が得られなかった時、伝えたかったことが伝わらなかった時、他者の強烈な悪意にさらされた時。理由は様々だけど、その時かれらは、私の心の温室の中で枯れてしまう。比喩表現を使っているけど、要するに、私は自分の表現を最後まで肯定し続けることができない。
本当に嫌な性格だけど、直す方法も見つからない。
私は枯れてしまったものを弔うために何ができるかを考えた。
この企画に出している冥途之みやげと墓標の絵は、かれらをあたたかい光の当たる場所にそっと眠らせておきたい、せめてかたちを残したいという、私の身勝手なエゴから生まれたものだ。
冥途之みやげはかれらを守る墓守。喪服姿でかれらを弔う。かれらがいつまでも安らかに眠れるように祈る。
私は自分の表現を信じていたヴァン・ゴッホの作品を敬愛している。
"僕の作品は粗探しをする人からすれば欠点がたくさんあるのだろうけど、
自分の表現を信じているから、なんとも思わない。"
以前のノートで引用したこのことばを東京都美術館のゴッホ展で知ったときは衝撃を受けたし、自分の作品を信じられるということが、どれほど尊敬に値することなのか、ということを考えた。
もし彼に私と同じように心象の温室があったのなら、そこには枯れることなく、たくさんの植物が咲き誇っていたのだろうな。
冥途之みやげも私の心象の温室に咲く作品のひとつ。
冥途之みやげは枯れずに生きている作品だからこそ、枯死したかれらを弔うことができる。これからも私が表現し続ける限り私の温室でなにかが生まれては死んでいく。
死ぬさだめにあるそれらを、冥途之みやげが看取って弔ってくれますように。